働くママの日々是修行。
家庭と仕事の両立に悩むママの生活雑感。
2009
May 17
May 17
本当は原稿書きで忙しくなる予定だったのだが、予想が外れて時間が空いたので、平日で4冊を読了した。
といっても最初の4日間で「血と骨」の上下巻、金曜日に残る2冊を読んだのだけれど。
まず、梁石日さんの「血と骨」。
これは、梁石日さんの実在の父親をモデルにした、一人の業深き男の激烈な死闘と数奇な運命を描いたもの。
私はこれまで在日文学を読んだことがないし、この小説が発表されたときにどんな論議をされたのかも知らないが、父と子の壮絶な対立と葛藤の物語にすぐに引き込まれた。
父として息子という存在に執着しながらも、家族に愛情を持たず、己の欲望のままに生き続けた男。
吝嗇家で自分が納得することにだけお金を使い、巨万を富を得たが、他者をないがしろにしたツケはきちんと回ってくる。
人を愛さなければ、自分が愛されることもない。人を大事にしなければ、人に大事にされることもない。
自ら父親との縁を切り、人づてに父親の死を知った息子は、自分の最期になにを思うのだろうか。
今後も作品を読み続けたいと思う。
そして、藤田憲一さんの「末期がんになったIT社長からの手紙」とTBSテレビ報道局編の「余命1ヶ月の花嫁」。
私は昔から闘病記をよく読む。
そのきっかけは、短大時代に千葉敦子さんの著書に出会ったことだ。
フリーランス・ジャーナリストとして「アジア・ウォールストリート・ジャーナル」や米国の「フォーブス」誌などに英語で記事を執筆していた千葉氏が乳がんにかかり、闘病や乳房再建、再発後のニューヨーク生活などを書き綴った一連の書籍にいたく感銘を受けてから、目にとまったものは読むようにしてきた。
この2冊は残念がら書籍より、この二人を取り上げた映像番組の方がずっと見ごたえがあった。
日本全般の傾向だから仕方がないのだが、心の掘り下げ方が浅く、文体が軽いので、心を揺さぶられるような感動には出会えなかったな~。
何度も繰り返し読みたくなる本に出会う確率が、年々下がっている気がする。
何度も読み返したくなるマンガには、たくさん出会っているのだけれど。
マンガも立派な文化だし、愛してやまないものだけれど、やはり文章で感動したいと思うのだ。
活字中毒の私におススメの本があれば、ぜひご一報くださいませ

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2009
May 09
May 09
ゴールデンウィーク後半は、パソコン部屋で読書に勤しんだ。
まず、道場瞬一の「蒼の悔恨」。
「猟犬」と呼ばれる神奈川県警捜査一課の真崎薫は、連続殺人犯・青井猛郎を追い詰める。しかし、コンビを組んで捜査していた赤澤奈津をかばった一瞬の隙をつかれて深手を負い、逃走されてしまう。その後捜査から外された真崎は青井を追い続けるが…。
刑事・鳴沢了シリーズのファンで、道場さんの本は買い続けているけど、今回はイマイチだったかな~。
前半は楽しく読んだけど、中盤でその後の展開が読めてしまって…。ラストも強引だったし。
期待が大きかった分、肩すかしをくらった感じだった。
そして、増田明利の「今日、ホームレスになった」。
ギャンブルやバブル崩壊、一家離散、住宅ローン、リストラなど、さまざまな理由で順風まんぱんだった人生が突然崩壊した15人のサラリーマンの転落記。
普通のサラリーマンがちょっとしたきっかけでホームレスになってしまう。
不景気の日本では、こんな光景がいたるところで起こっているんだろうな~と思うと、身につまされる。
ただこの本を読んで思ったのは、家庭をきちんと築いてこなかったツケが回ったのだということ。
自分が辛いときに家族が支えてくれないのは、その人にも原因があると思うから。
でも、自殺されるよりはホームレスとして生きてくれる方がいいと思った。
最後は、制作verbによる「遺書」。
自殺を選んだ10代、20代の若者の遺書と遺族のインタビューにより、「生」「死」「家族」について考察した一冊。
正直なところ、制作スタッフのほとんどが20代前半なので、インタビューも浅くて通りいっぺんだし、企画意図がよくわからない部分はあって、本としての読みごたえはないのだけれど。
同世代の若者が「自殺」をテーマに、明日への希望について考え、いま自殺を考えている人にメッセージを残したいという思いには共感できた。
今日も何か本を仕入れようと思っている。
週が明ければ、読書どころじゃないからね~。
2009
May 03
May 03
1972年のウルグアイ空軍機571便遭難事故を題材にした、「生きてこそ(原題:ALIVE)」を観た。
1972年10月、ウルグアイのステラ・マリス学園のラグビーチームとその家族・知人を乗せたウルグアイ空軍のフェアチャイルドFH-227D旅客機が悪天候で視界が遮られた状態のままチリの航空管制の誤誘導でアンデス山脈高度4,200メートル地点に激突・墜落。機体はばらばらになり山脈の壁面を滑落した。短時間のフライト予定で水も食料も殆ど持ち合わせていなかった生存者たちは、死亡した仲間の遺体を人肉食することで餓えをしのぎ生存する道を選んだ。機内のラジオで自分たちの捜索が打ち切られたことを知った生存者たちは、幾多の苦労を乗り越えて最終的に自力で生還することを選び、ナンド・パラードとロベルト・カネッサは山のふもとまで到達し助けを呼ぶことに成功した。そうして生存者16人は救助ヘリの到着まで生き延び、無事生還を果たす。
「ひかりごけ」を読んだ後だったこともあり、国民性や宗教感、育った環境、一人だったか複数だったかの違いが、その後の人生をここまで変えるものなのかと思い、複雑な気持ちになった。
でも、このラグビーチームのメンバーが食料も防寒の用意もない中で、知恵を持ち寄り、チームワークで苦境を乗り越え生還したことに、私は拍手を贈りたい。
極限の状況の中で、友人の肉を食べて生きることを提案するのは、とても勇気が必要だったろう。
実際、いざ人肉食を決めて口に含んでも、最初は吐き出して飲み込めないほど、拒絶反応が強かったという話だ。
でも、乗客全員がカトリック教徒だったこと、そして人肉食という行為が聖餐と同一視されるという主張を受け入れることで、何とか気持ちの折り合いをつけることができたのだろう。
生還した16人のメンバーは、いまでも事故の起きる前から住んでいた街で生活し、家族ぐるみのつきあいを続けているそうだ。
もちろんその街には、被害者の家族も住んでいる。
でも、辛い経験を共有し、気持ちを理解してくれる当事者が他にもいることは、生き続けるうえで大きな支えになるのだろう。
これも原作本を探して読んでみようと思う。
DVDを購入しようかと思うくらい、心に残る映画だった。
1972年10月、ウルグアイのステラ・マリス学園のラグビーチームとその家族・知人を乗せたウルグアイ空軍のフェアチャイルドFH-227D旅客機が悪天候で視界が遮られた状態のままチリの航空管制の誤誘導でアンデス山脈高度4,200メートル地点に激突・墜落。機体はばらばらになり山脈の壁面を滑落した。短時間のフライト予定で水も食料も殆ど持ち合わせていなかった生存者たちは、死亡した仲間の遺体を人肉食することで餓えをしのぎ生存する道を選んだ。機内のラジオで自分たちの捜索が打ち切られたことを知った生存者たちは、幾多の苦労を乗り越えて最終的に自力で生還することを選び、ナンド・パラードとロベルト・カネッサは山のふもとまで到達し助けを呼ぶことに成功した。そうして生存者16人は救助ヘリの到着まで生き延び、無事生還を果たす。
「ひかりごけ」を読んだ後だったこともあり、国民性や宗教感、育った環境、一人だったか複数だったかの違いが、その後の人生をここまで変えるものなのかと思い、複雑な気持ちになった。
でも、このラグビーチームのメンバーが食料も防寒の用意もない中で、知恵を持ち寄り、チームワークで苦境を乗り越え生還したことに、私は拍手を贈りたい。
極限の状況の中で、友人の肉を食べて生きることを提案するのは、とても勇気が必要だったろう。
実際、いざ人肉食を決めて口に含んでも、最初は吐き出して飲み込めないほど、拒絶反応が強かったという話だ。
でも、乗客全員がカトリック教徒だったこと、そして人肉食という行為が聖餐と同一視されるという主張を受け入れることで、何とか気持ちの折り合いをつけることができたのだろう。
生還した16人のメンバーは、いまでも事故の起きる前から住んでいた街で生活し、家族ぐるみのつきあいを続けているそうだ。
もちろんその街には、被害者の家族も住んでいる。
でも、辛い経験を共有し、気持ちを理解してくれる当事者が他にもいることは、生き続けるうえで大きな支えになるのだろう。
これも原作本を探して読んでみようと思う。
DVDを購入しようかと思うくらい、心に残る映画だった。
2009
May 02
May 02
遅ればせながら、西川美和監督の「ゆれる」を観た。
都会に出て成功した弟。地方で家業を継ぎ、家に縛られる兄。
信じる、信じられる。裏切る、裏切られる。奪う、奪われる。許す、許される。
兄弟の中でこんな感情が起きたことがない私には、その心理を理解することはできなかったけれど。
弟の証言を聞いた兄が、被告人席で口もとに笑みを浮かべたシーンで、背筋がゾッとした。
感情を殺すことを当たり前に生きてきて、周りのわがままをすべて許してきて。
諦めと寛容が綯い交ぜになった気持ちがあふれ出ているようで、涙が出た。
映像も良かったけれど、何より脚本が良かったと思う。
東京で写真家として成功した猛は母の一周忌で久しぶりに帰郷し、実家に残り父親と暮らしている兄の稔、幼なじみの智恵子との3人で近くの渓谷に足をのばすことにする。
懐かしい場所にはしゃぐ稔。稔のいない所で、猛と一緒に東京へ行くと言い出す智恵子。
だが渓谷にかかった吊り橋から流れの激しい渓流へ、智恵子が落下してしまう。その時そばにいたのは、稔ひとりだった。
事故だったのか、事件なのか。
裁判が始められるが、次第にこれまでとは違う一面を見せるようになる兄を前にして猛の心はゆれていく。
やがて猛が選択した行為は、誰もが思いもよらないことだった──。
都会に出て成功した弟。地方で家業を継ぎ、家に縛られる兄。
信じる、信じられる。裏切る、裏切られる。奪う、奪われる。許す、許される。
兄弟の中でこんな感情が起きたことがない私には、その心理を理解することはできなかったけれど。
弟の証言を聞いた兄が、被告人席で口もとに笑みを浮かべたシーンで、背筋がゾッとした。
感情を殺すことを当たり前に生きてきて、周りのわがままをすべて許してきて。
諦めと寛容が綯い交ぜになった気持ちがあふれ出ているようで、涙が出た。
映像も良かったけれど、何より脚本が良かったと思う。
2009
April 29
April 29
先日読んだ「ひかりごけ」のモデルである、遭難からたった一人生還した船長から、15年という歳月をかけて聞きまとめた、食人事件の全容に迫るノンフィクションを読了した。
率直な感想を言うと、生きつづけなければならなかった船長の逃れられない罪の意識と、風評被害の大きさを考えると、哀しくてやるせなくて…。
言葉にできないほど、衝撃を受けた。
アンデスの聖餐事件やパリの人肉事件など、世界でも食人事件はいくつか起こっているけれど、食人を罪に問われたのはこの船長だた一人だ。
殺人を犯したわけでもなく、極寒の知床で食べるものもなく、救助も見込めない状況の中、先に餓死した乗組員を食べてしまうこと。
感情的には納得できないところもあるが、それを否定すると、「人間を食べるのは道徳的に許されないから、お前も餓死しろ」と言うのと同じことになる。
幻覚・幻聴を伴うほどの飢えの苦しみを知らず、本能的に食人してしまった自分を責め続ける苦悩を理解できるわけもない他人が、何かを言ってはいけないと私は思う。
だから、噂や聞きかじりに基づき、「難破船長食人事件」について書かれた「羅臼郷土史」や「しれとこ秘境の記録」「知床秘話」などの著者に、私は大きな憤りを感じる。
自分の想像で膨らませた事件が、一切反論しない当事者を、重い十字架を背負っている当事者を、どれだけ傷つけ続けたのか。考えたことがあるのだろうか?
活字の重みをわからない人間に、文章など書いてほしくない。
いまは天に召された船長のご冥福を、心から祈る。