働くママの日々是修行。
家庭と仕事の両立に悩むママの生活雑感。
2009
May 03
May 03
1972年のウルグアイ空軍機571便遭難事故を題材にした、「生きてこそ(原題:ALIVE)」を観た。
1972年10月、ウルグアイのステラ・マリス学園のラグビーチームとその家族・知人を乗せたウルグアイ空軍のフェアチャイルドFH-227D旅客機が悪天候で視界が遮られた状態のままチリの航空管制の誤誘導でアンデス山脈高度4,200メートル地点に激突・墜落。機体はばらばらになり山脈の壁面を滑落した。短時間のフライト予定で水も食料も殆ど持ち合わせていなかった生存者たちは、死亡した仲間の遺体を人肉食することで餓えをしのぎ生存する道を選んだ。機内のラジオで自分たちの捜索が打ち切られたことを知った生存者たちは、幾多の苦労を乗り越えて最終的に自力で生還することを選び、ナンド・パラードとロベルト・カネッサは山のふもとまで到達し助けを呼ぶことに成功した。そうして生存者16人は救助ヘリの到着まで生き延び、無事生還を果たす。
「ひかりごけ」を読んだ後だったこともあり、国民性や宗教感、育った環境、一人だったか複数だったかの違いが、その後の人生をここまで変えるものなのかと思い、複雑な気持ちになった。
でも、このラグビーチームのメンバーが食料も防寒の用意もない中で、知恵を持ち寄り、チームワークで苦境を乗り越え生還したことに、私は拍手を贈りたい。
極限の状況の中で、友人の肉を食べて生きることを提案するのは、とても勇気が必要だったろう。
実際、いざ人肉食を決めて口に含んでも、最初は吐き出して飲み込めないほど、拒絶反応が強かったという話だ。
でも、乗客全員がカトリック教徒だったこと、そして人肉食という行為が聖餐と同一視されるという主張を受け入れることで、何とか気持ちの折り合いをつけることができたのだろう。
生還した16人のメンバーは、いまでも事故の起きる前から住んでいた街で生活し、家族ぐるみのつきあいを続けているそうだ。
もちろんその街には、被害者の家族も住んでいる。
でも、辛い経験を共有し、気持ちを理解してくれる当事者が他にもいることは、生き続けるうえで大きな支えになるのだろう。
これも原作本を探して読んでみようと思う。
DVDを購入しようかと思うくらい、心に残る映画だった。
1972年10月、ウルグアイのステラ・マリス学園のラグビーチームとその家族・知人を乗せたウルグアイ空軍のフェアチャイルドFH-227D旅客機が悪天候で視界が遮られた状態のままチリの航空管制の誤誘導でアンデス山脈高度4,200メートル地点に激突・墜落。機体はばらばらになり山脈の壁面を滑落した。短時間のフライト予定で水も食料も殆ど持ち合わせていなかった生存者たちは、死亡した仲間の遺体を人肉食することで餓えをしのぎ生存する道を選んだ。機内のラジオで自分たちの捜索が打ち切られたことを知った生存者たちは、幾多の苦労を乗り越えて最終的に自力で生還することを選び、ナンド・パラードとロベルト・カネッサは山のふもとまで到達し助けを呼ぶことに成功した。そうして生存者16人は救助ヘリの到着まで生き延び、無事生還を果たす。
「ひかりごけ」を読んだ後だったこともあり、国民性や宗教感、育った環境、一人だったか複数だったかの違いが、その後の人生をここまで変えるものなのかと思い、複雑な気持ちになった。
でも、このラグビーチームのメンバーが食料も防寒の用意もない中で、知恵を持ち寄り、チームワークで苦境を乗り越え生還したことに、私は拍手を贈りたい。
極限の状況の中で、友人の肉を食べて生きることを提案するのは、とても勇気が必要だったろう。
実際、いざ人肉食を決めて口に含んでも、最初は吐き出して飲み込めないほど、拒絶反応が強かったという話だ。
でも、乗客全員がカトリック教徒だったこと、そして人肉食という行為が聖餐と同一視されるという主張を受け入れることで、何とか気持ちの折り合いをつけることができたのだろう。
生還した16人のメンバーは、いまでも事故の起きる前から住んでいた街で生活し、家族ぐるみのつきあいを続けているそうだ。
もちろんその街には、被害者の家族も住んでいる。
でも、辛い経験を共有し、気持ちを理解してくれる当事者が他にもいることは、生き続けるうえで大きな支えになるのだろう。
これも原作本を探して読んでみようと思う。
DVDを購入しようかと思うくらい、心に残る映画だった。
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