働くママの日々是修行。
家庭と仕事の両立に悩むママの生活雑感。
2009
August 30
August 30
最近、書籍を読んでいて、眠れなくなるほど夢中になれるものに出会えていない。
でも、マンガは別で、続きが気になって仕方がなくて、寝不足になっても読み続けてしまうものがたくさんある。
マンガは世界に誇るサブカルチャーであり、私はこれからもマンガを読み続けるが、書籍でこういう感動に出会いたいと思う気持ちが強くあるのも事実。
ノンフィクションばかり読むようになったのも、フィクションより心を動かされる確率が高い気がするからだ。
私がフィクションから離れた理由の一つに、使われている日本語が美しくなくなったことがあげられる。
カタカナが増え、センテンスが短くなり、文章でしか見ないような熟語が使われることが少なくなっているから。
25年前、初めてフランソワーズ・サガンの「悲しみよ、こんにちは」を読んだときの日本語訳の美しさ。
古典と呼ばれる作品に流れる、日本的な表現の数々。
読書を通して、語彙を増やすことも、楽しみの一つだったことに、最近気が付いた。
情報はネットやテレビ・ラジオなどのメディアで収集することはできるが、教養を蓄えるという意味では、やはり読書は欠かせない習慣だ。
でも、この年齢になり、家庭を持ち、仕事をしていれば、一日に使える時間は微々たるもので。
だからこそ、駄作を読んで無駄な時間を費やすくらいなら、蔵書を読みなおしたり、研究書やノンフィクションを読む方がいいと思うんだろうな~。
それでもやっぱり、子どものころに世界名作全集を読んだように、中学時代にコナン・ドイルやエラリー・クィーン、アガサ・クリスティを読んだときと同じように、夢中になって読める本に出会いたいな~。
でも、マンガは別で、続きが気になって仕方がなくて、寝不足になっても読み続けてしまうものがたくさんある。
マンガは世界に誇るサブカルチャーであり、私はこれからもマンガを読み続けるが、書籍でこういう感動に出会いたいと思う気持ちが強くあるのも事実。
ノンフィクションばかり読むようになったのも、フィクションより心を動かされる確率が高い気がするからだ。
私がフィクションから離れた理由の一つに、使われている日本語が美しくなくなったことがあげられる。
カタカナが増え、センテンスが短くなり、文章でしか見ないような熟語が使われることが少なくなっているから。
25年前、初めてフランソワーズ・サガンの「悲しみよ、こんにちは」を読んだときの日本語訳の美しさ。
古典と呼ばれる作品に流れる、日本的な表現の数々。
読書を通して、語彙を増やすことも、楽しみの一つだったことに、最近気が付いた。
情報はネットやテレビ・ラジオなどのメディアで収集することはできるが、教養を蓄えるという意味では、やはり読書は欠かせない習慣だ。
でも、この年齢になり、家庭を持ち、仕事をしていれば、一日に使える時間は微々たるもので。
だからこそ、駄作を読んで無駄な時間を費やすくらいなら、蔵書を読みなおしたり、研究書やノンフィクションを読む方がいいと思うんだろうな~。
それでもやっぱり、子どものころに世界名作全集を読んだように、中学時代にコナン・ドイルやエラリー・クィーン、アガサ・クリスティを読んだときと同じように、夢中になって読める本に出会いたいな~。
PR
2009
August 30
August 30
2009
August 29
August 29
2009
August 29
August 29
私が今年読んだノンフィクションの中で一番感銘を受けたのは、門田隆将さんの「なぜ君は絶望と闘えたのかー本村洋の3300日ー」です。そこには、光市母子殺害事件の被害者遺族として、少年法の壁と闘い続けた本村さんの苦闘の日々が綴られています。
その中で、職場に復帰したものの、仕事をすることに意義を見出せなくなり、上司に退職を申し出た際の交わされた会話が記されています。 上司の方は、本村さんにこう声をかけたそうです。
「この職場で働くのが嫌なのであれば、辞めてもいい。君は特別な経験をした。社会に対して訴えたいこともあるだろう。でも、君は社会人として発言していってくれ。労働も納税もしない人間が訴えても、それはただの負け犬の遠吠えだ。君は社会人たりなさい」。
組織の中にいれば、自分が楯になって本村さんを守ることができると考えていた方だから、言えた言葉だったのだと思います。
私も同感です。
いま日本の政治や行政の対応について、あちこちでいろいろな議論が交わされていますが、何かを変えようと思うなら、自分が義務を果たせているのかどうか、きちんと考えるべきなのではないかと。
労働や納税はもちろん、育児や介護、ボランティア活動など、自分の存在が社会に何がしかの貢献ができているのか。
社会のせいや他人のせいにして、自分を甘やかしてはいないか。
いまの自分を振り返ることなく、誰かの行いを批判したり、非難するのは、おこがましいことだと思うのです。
私は私なりに社会の一員として義務を果たすことで、権利を主張できる自分でいたいと考えています。
その中で、職場に復帰したものの、仕事をすることに意義を見出せなくなり、上司に退職を申し出た際の交わされた会話が記されています。 上司の方は、本村さんにこう声をかけたそうです。
「この職場で働くのが嫌なのであれば、辞めてもいい。君は特別な経験をした。社会に対して訴えたいこともあるだろう。でも、君は社会人として発言していってくれ。労働も納税もしない人間が訴えても、それはただの負け犬の遠吠えだ。君は社会人たりなさい」。
組織の中にいれば、自分が楯になって本村さんを守ることができると考えていた方だから、言えた言葉だったのだと思います。
私も同感です。
いま日本の政治や行政の対応について、あちこちでいろいろな議論が交わされていますが、何かを変えようと思うなら、自分が義務を果たせているのかどうか、きちんと考えるべきなのではないかと。
労働や納税はもちろん、育児や介護、ボランティア活動など、自分の存在が社会に何がしかの貢献ができているのか。
社会のせいや他人のせいにして、自分を甘やかしてはいないか。
いまの自分を振り返ることなく、誰かの行いを批判したり、非難するのは、おこがましいことだと思うのです。
私は私なりに社会の一員として義務を果たすことで、権利を主張できる自分でいたいと考えています。
2009
August 29
August 29
1985年日航機123便の墜落事故に関する本を読みあさっていた。
「墜落の夏~日航機123便事故全記録~」 吉岡 忍著
1985年8月12日、日航123便ジャンボ機が32分間の迷走の果てに墜落し、急峻な山中に520名の生命が失われた。いったい何が、何故起こったのかと問う暇もなく、遺族をはじめとする人々は空前の出来事に日王泣く翻弄されていく…。国内最大の航空機事故を細密に追い、ジャンボに象徴される現代の巨大なシステムの本質にまで迫る。
「墜落遺体~御巣鷹山の日航機123便」 飯塚 訓著
1985年8月12日、群馬県・御巣鷹山に日航機123便が墜落。何の覚悟も準備もできないまま、一瞬にして520人の生命が奪われた。本書は、当時、遺体の身元確認の責任者として、最前線で捜査にあたった著者が、前遺体の身元が確認されるまでの127日間を、渾身の力で書きつくした、悲しみ、怒り、そして汗と涙にあふれた記録。
「墜落現場・遺された人たち~御巣鷹山、日航機123便の真実~」 飯塚 訓著
日本人の記憶に深く刻まれた、520人の生命を一瞬にして奪ったあの大事故。当時、最前線で前遺体の身元確認にあたった著者が、やむにやまれぬ思いで、大事故の裏に現存する、人々の知られざるその後を追跡。落下する機中で書き残された遺書が遺された家族の中に生きている様、一人息子を失った母のやり直し人生…。極限の惨状を共有したものだに語られる心の叫びとは。
「隠された証言~日航123便墜落事故~」 藤田 日出男著
1985年8月12日、日航123便は群馬県御巣鷹山山中に墜落し、520名の犠牲者を出した。発表された事故原因は圧力隔壁破壊。だが、その結論には多くに専門家が首をかしげた。何が隠されたのか。元日航パイロットが、各種の資料を収集し、事故原因を追究する。そして、ついに内部告発者があらわれ、隠されて歌証言が事故の真相と隠ぺいに構図を浮き彫りにした。
「日航機遺体収容~123便、事故処理の真相~」 河村 一男著
1985年8月12日、日航123便ジャンボ機墜落から20年。壮絶な現場で、全員の身元確認をめざした警察の苦闘を、当時の警察総指揮官が初めて明かす一部始終。
いつもなら一冊ごとに感想を記すのだが、今回は全体を通しての感想を。
個人的に興味深く読んだのは、「墜落の夏」と「隠された証言~日航123便墜落事故」の2冊だ。
「墜落の夏」は、ノンフィクションライターが緻密な取材に基づいて書いているので、説得力もあるし、まとまりもある。何より、事故後1年でここまで調べ上げたのかと、本当に感心した。
そして「隠された証言」は、日航の中にいる社員が、真実を追求すべく、いろいろな人と関わりながら書き上げた渾身の一冊といえると思う。事故の真相を究明しようとしない日本政府(といっても過言ではないと思う)に対して、真実を積み上げることで疑問を呈している。また、運輸省関係者の中にも、自らの立場を危うくしながらも内部告発を辞さない人たちが多かったことに、改めて気付かされる一冊だった。
一方、警察関係者の著作に関しては、嘘や誇張、自己主張が激しすぎる。
記憶違いという側面もあるのだろうが、いかに自分ががんばったかを書きこむこと、自論を正当化することに力を注いでいるのはいかがなものかと思う。
もっと感情をおさえて、事実だけを綴る方が、読者の心を揺さぶったのではないだろうか。
日航機墜落事故に関して、再調査が行われることはないだろう。
それは、隠さざるをえない、公表できない事故原因があるからとしか思えない。
今後も、機会があれば読み進めようと思うテーマの一つだ。