働くママの日々是修行。
家庭と仕事の両立に悩むママの生活雑感。
April 29
今日は天気も良くて暖かいので、昼食後、徒歩20分のところにある大きな公園に出かけた。
レンタルショップの手前にあって、遊具も充実しているし、走り回れるスペースも十分あるので、公園前にはたくさんの車が路上駐車されており、家族連れがいっぱい。
私はユリ・マリ・ケンタにサクを任せて、レンタルショップにDVDを返却しに行き、新たに7本借りて、隣の書店で雑誌を購入し、公園に戻った。
飲み物やおやつが入ったリュックを持っていったので、10分交替で荷物番をしながら待っていたらしい。
成長したな~(笑)。
私はベンチに腰かけて、雑誌にめくりながら子どもたちの様子を見ていたけれど、もうママがいなくてもみんな平気で遊んでいて、ユリ・マリは本当によくサクの面倒を見てくれていて…。
なかなか感慨深いものがあった。
でも、サクはユリよりマリの方がいいみたい
写真は保育士志望のマリとわがままサクちゃん。
今度は、平岡の梅林公園に行ってみようと思う
April 29
先日読んだ「ひかりごけ」のモデルである、遭難からたった一人生還した船長から、15年という歳月をかけて聞きまとめた、食人事件の全容に迫るノンフィクションを読了した。
率直な感想を言うと、生きつづけなければならなかった船長の逃れられない罪の意識と、風評被害の大きさを考えると、哀しくてやるせなくて…。
言葉にできないほど、衝撃を受けた。
アンデスの聖餐事件やパリの人肉事件など、世界でも食人事件はいくつか起こっているけれど、食人を罪に問われたのはこの船長だた一人だ。
殺人を犯したわけでもなく、極寒の知床で食べるものもなく、救助も見込めない状況の中、先に餓死した乗組員を食べてしまうこと。
感情的には納得できないところもあるが、それを否定すると、「人間を食べるのは道徳的に許されないから、お前も餓死しろ」と言うのと同じことになる。
幻覚・幻聴を伴うほどの飢えの苦しみを知らず、本能的に食人してしまった自分を責め続ける苦悩を理解できるわけもない他人が、何かを言ってはいけないと私は思う。
だから、噂や聞きかじりに基づき、「難破船長食人事件」について書かれた「羅臼郷土史」や「しれとこ秘境の記録」「知床秘話」などの著者に、私は大きな憤りを感じる。
自分の想像で膨らませた事件が、一切反論しない当事者を、重い十字架を背負っている当事者を、どれだけ傷つけ続けたのか。考えたことがあるのだろうか?
活字の重みをわからない人間に、文章など書いてほしくない。
いまは天に召された船長のご冥福を、心から祈る。
April 29
彼女は5歳年下で、仕事のことで話をしていたときから、自分と考え方が似ているな~と思っていた。
昨日初めてプライベートで飲んだけれど、すごく楽しかった!
仕事に対する考え方とか、世間の枠におさまっていない自分との折り合いのつけ方とか、起こった出来事の責任は状況がどう変わっても自分でとるという覚悟とか、心の根底に流れるものが似ているんだろうな~。
話していてすごく楽だったし、読書の趣味も近いものがあって、いろいろな話で盛り上がれた。
この年齢になると、友人を見つけるのが難しくなる。
特に女性は、仕事を持つ持たない、家庭を持つ持たない、子どもを持つ持たないなどで自然にカテゴリーができてしまうし、お互いを尊重して受け入れるということができにくいと感じるからだ。
どのカテゴリーにいても、そこでしか味わえない幸せがあるのと同じように、いちいち言わないだけで苦労もしているわけだから。
似たような経験をしていないとわからない気持があって、彼女とはそこを共有できたから、かなりプライベートをさらけ出した話ができたのだと思う。
こうした形で新たに出会った友人と、これから楽しい時間を共有できるといいな~

April 27
今日は都合5年ほどお付き合いさせていただいているクライアントに、3年前から提案したいと思っていた企画をプレゼンし、即決していただいた
すご~く、うれしい
思えば、自分でたてた企画をプレゼンするって、2年ぶりの出来事なんだな~。
うつ病でダウンする前、躁状態になっていた時期には、立て続けにリーフレットの受注をしていたけど、7桁の受注は久々なので、すごく達成感がある。
進行も取材も原稿を書くのも神経を使うけど、自分がたてた企画だから自分で書ききりたいと思っている。
正直、他のパンフレットの仕事も重なって、連休明けは怒涛の忙しさになると思うけど、
いまはワクワク感の方が大きいかも
いい仕事ができるように、全力でがんばろうと思う。
明日は祝杯だ~
April 26
第2次世界大戦時において、最も悲劇的な戦いと言われる“硫黄島の戦い”を、アメリカ側の視点から描いた作品だ。
ウィスコンシン州で葬儀屋を営む老人が長い人生に別れを告げようとしていた。彼の名はジョン・“ドク”・ブラッドリー。1945年彼は海軍の衛生兵として硫黄島に赴き海兵隊と共に戦った。
その中で撮られた一枚の写真により、彼はアメリカ中から“英雄”と称えられた。しかし彼はその後も、家族へ硫黄島について語ろうとはせずアメリカ中に知れ渡ったこの写真について何も語ろうとはしなかった。
硫黄島で何があったのか、彼の息子・ジェイムズは硫黄島の真実について辿り始める。
硫黄島での戦いと、英雄に祭り上げられたことに戸惑い、悩み、傷ついた生き残り3人の顛末が淡々とした語り口で描かれているからこそ、悲しみが伝わってきた。
仲間を失った悲しみと真実を話せない苦悩を抱えながらも、戦争国債を国民に買わせるために客寄せパンダでいることに甘んじなければならない現実。
硫黄島での戦闘シーンより、英雄として利用され、心をえぐられ続け、最後には野垂れ死にしてしまうアイラ・ヘイズさんの生きざまが胸に痛かった…。
これは、原作を読んでみたいと思った。
息子さんが父親を理解したいという思いから始まった物語なんだろうけど、亡くなったお父様が口を閉ざした気持ちを尊重してあげれば良かったのにとも思った。
本当の地獄を経験した人は、決してその事実を語ろうとはしないと思うから。
そして、口に出せない思い出を抱えて生きるのは、とても重く苦しいことだと思うから。
最近は、何かを考えさせられるものばかり選んだかのように、読んだり、観たりしているな~。
自分も変わりたいと思う、表れなのかな?